Story
“私はどうして人と違うんだろう” “私は誰なんだろう”
昔から変わり者と言われることが多かった私は、物心がついてからずっと、生きづらさを感じていました。留学を決めたのは、その状況を変えたかったからです。
誤解を恐れずに言えば、日本はどうしても同調圧力が強い傾向にあります。人との違いが、個性として認められづらい。
別の国に行けば、自分が何者か知れるのではないか。そんな期待もありました。
でもそれは、甘い考えでした。
私はアメリカに行ってもうまく居場所を見つけられず、孤独を感じ、理由もなく涙が出る日々の中で、幼少期から趣味だった絵画に救いを求めました。
心の痛みを絵として視覚化すると、「自分はこうだから苦しい」と考えがクリアになるのです。私は自分を救うためだけに、ひたすら描き続けました。
しかしどれだけ描いても、根本的な解決にはなりません。それはおそらく心のどこかで、自分が誰かから認められることを期待し、自己肯定感や評価軸を他人に委ねてしまっていたからです。世界には、都合よく救ってくれる王子様も、助けてくれる魔法使いもいない。結局、本当に自分を認めてあげられるのは自分だけなのです。
“居場所が見つけられないのなら、自分で作れば良い”
そう思いました。孤独から抜け出そうとするのではなく、愛せば良いのだと。そうすれば孤独でも怖くないし、愛を諦める必要もない。
そこから、愛の世界を表現する現在の作風が生まれました。
女体モチーフの作品が多いのは、「私の体は宇宙で、何でも産み出すことができる」と未来への希望を表現するため。昔、妊婦さんのお腹を触った時、「胎内は宇宙だ」と強烈なインスピレーションを受けました。
裸なのは、属性や所有物にばかり価値があるという概念を晴らしたいから。それらで一概に決めつけてしまう行為は、人の視力を奪います。容姿、学歴、仕事、金、富、名声、能力。そんなものに惑わされず、自信に満ち溢れている絵の中の彼らは、ある意味私の理想なのです。
ありのままの自分に、恥じらいなどない。
そして、すべての絵のテーマに愛が含まれているのは、あなたが愛に満ち溢れてほしいからです。
私は、私のように疎外感を持つ人の居場所を、アートで作り出したい。
あなたはもしかして一人かもしれない。でもそれは、恥じることじゃない。愛を諦めないでほしい。
私が絵に救いを求めたあの頃、欲しかった言葉は、「あなたは一人じゃないよ」ではありませんでした。
「一人でも大丈夫だったじゃん、生きてこれたじゃん」そう言って欲しかった。
だから私はあなたに、そう言います。
私の作品があなたの居場所に、心の拠り所になれれば嬉しく思います。

